ナユミマ☆四国遍路の旅

1回目【第55~52番逆打ち】、2回目【第44~51番】 3回目に徳島【第1番~】区切り打ち開始☆

写経で自分の供養が出来るか?

 

 2019年、第一番札所からのお遍路は、

 自分で読経する納経と、

 『写経』を納める納経の二種混合で、

 することにしました。

 

 

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 『写経』も、

 願文 先祖供養 と、

 願文 自分供養 の二種類を、

 用意しました。

 

 私の家は浄土真宗門徒なので、

 浄土真宗でMAX偉い『阿弥陀如来』様が御本尊のお寺に、

 願文 先祖供養 の写経を納めることにしました。

 

 ……浄土真宗(のお経)では、

 先祖供養をすることはできない、と、聞いたからです。

 

 生きている人間が浄土にいけるという教義なので、

 死んだ者をどうこうするものではないのだとか……

 え~~っ、そうなのーーー?!

 (そういうことらしいです……😓)

 

 私自身は、

 御先祖は成仏されていると思っているので、

 正直、差し迫った必要性は感じないのですが、

 そこまで聞かされてしまったので、

 もし、出来てなかったら困るので、

 お遍路でガチの先祖供養をやってみようと思ったのでした。

 

 それから、

 

 私が四国遍路をする理由である、

 願文 自分供養 の『写経』も納めることにしました。

 

 これも、私の家は自分の代で絶えるので、

 子孫がどうこうしてくれることはないんだなぁと思っていたら、

 お遍路で自分自身の生前供養ができると聞いたからです。

 

 

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 そんな自分供養の『写経』は、

 第12番札所の焼山寺に納めました。

 

 焼山寺の御本尊が虚空蔵菩薩なのですが、

 三十三回忌に関係する仏様だとお聞きして……

 人間、三十三回忌までやってしまえば、

 どんな人も成仏するそうなので、

 ここで念入りにお願いすることに…(笑)したのです。

 

 

 ……と、ここまでは、

 2019年の下書きでした。

 

 

 その後、

 自分の生前供養は(写経では)出来ない、と、

 知ってしまったので、

 あ~、バカな(間違った)ことを書いてたんだなぁ……と、

 下書きのままで見直すこともありませんでした。

 

 現在、2022年であります。

 

 では、ところで何故、

 自分の生前供養は(写経では)出来ない、と、

 知ったのか?

 

 よく読む作家さんの著書からです。

 

 『写経』を受け取る仏様は、

 死者の世界に通じる(行ける)から、

 死者の供養の為に書いた『写経』を届けることが出来る、

 が、

 生きている人間は死者の世界にいない為、

 まだ生きている人間の『写経』は、届けられない。

 

 まだ、何処にもいない者には渡せない、という理屈だそうです。

 

 へぇ、とか言ったり思う前に、

 そりゃ当然か……と、言うべきなんでしょうかね。(笑)

 

 こうなってくると、

 お遍路で自分自身の生前供養ができる と、

 言い出したのは何処の誰なのか……という問題が出て来ますが、

 そこには言及しないでおきます。

 

 厳密には出来ないんだけど、

 信じてやっている人がそれで満足するなら、

 それでいいんじゃないか……

 

 自分も、そのことにずっと気づかないで、

 そのまま結願まで行っていたら、

 「これで自分の供養は出来ているから安心😊」とか言ったり思って、

 成仏していくことなんだろう……と、思われるからです。

 

 

 あと、

 人間、三十三回忌までやってしまえば、どんな人も成仏する と、

 先述がありましたが、

 

 その後、

 人間、死後50年が来たら、どんな人もチャラ 説 を知り、

 現在はそれに上書きされております。

 

 チャラい説き方となっておりますが、その意味は深淵で、

 

 どんな人も、

 その人間だった時を保てるのは50年が限界で、

 それを過ぎてもあの世に行か(け)なかったものは、

 いわゆる幽霊となって、成仏できない……のだそうです。

 

 私はここに、

 どんなに苦しい、悔しい死に方をした人でも、

 ずっと留まり続けることはない、

 たとえ自死をした人でも、

  地獄に落ちっぱなしで成仏できないということもない……、

 と、

 希望を見出しているので、この説を信じて推します。

 

 50年を過ぎても成仏できなかったら幽霊にはなるが、

 その後、成仏することも出来るそうなので……

 

 とにかく、

 生前に自分の『写経』では供養できなくても、

 成仏する方法はあるので、たぶん大丈夫! 

 ということです。