2019年、第一番札所からのお遍路は、
自分で読経する納経と、
『写経』を納める納経の二種混合で、
することにしました。
『写経』も、
願文 先祖供養 と、
願文 自分供養 の二種類を、
用意しました。
願文 先祖供養 の写経を納めることにしました。
……浄土真宗(のお経)では、
先祖供養をすることはできない、と、聞いたからです。
生きている人間が浄土にいけるという教義なので、
死んだ者をどうこうするものではないのだとか……
え~~っ、そうなのーーー?!
(そういうことらしいです……😓)
私自身は、
御先祖は成仏されていると思っているので、
正直、差し迫った必要性は感じないのですが、
そこまで聞かされてしまったので、
もし、出来てなかったら困るので、
お遍路でガチの先祖供養をやってみようと思ったのでした。
それから、
私が四国遍路をする理由である、
願文 自分供養 の『写経』も納めることにしました。
これも、私の家は自分の代で絶えるので、
子孫がどうこうしてくれることはないんだなぁと思っていたら、
お遍路で自分自身の生前供養ができると聞いたからです。
そんな自分供養の『写経』は、
第12番札所の焼山寺に納めました。
三十三回忌に関係する仏様だとお聞きして……
人間、三十三回忌までやってしまえば、
どんな人も成仏するそうなので、
ここで念入りにお願いすることに…(笑)したのです。
……と、ここまでは、
2019年の下書きでした。
その後、
自分の生前供養は(写経では)出来ない、と、
知ってしまったので、
あ~、バカな(間違った)ことを書いてたんだなぁ……と、
下書きのままで見直すこともありませんでした。
現在、2022年であります。
では、ところで何故、
自分の生前供養は(写経では)出来ない、と、
知ったのか?
よく読む作家さんの著書からです。
『写経』を受け取る仏様は、
死者の世界に通じる(行ける)から、
死者の供養の為に書いた『写経』を届けることが出来る、
が、
生きている人間は死者の世界にいない為、
まだ生きている人間の『写経』は、届けられない。
まだ、何処にもいない者には渡せない、という理屈だそうです。
へぇ、とか言ったり思う前に、
そりゃ当然か……と、言うべきなんでしょうかね。(笑)
こうなってくると、
お遍路で自分自身の生前供養ができる と、
言い出したのは何処の誰なのか……という問題が出て来ますが、
そこには言及しないでおきます。
厳密には出来ないんだけど、
信じてやっている人がそれで満足するなら、
それでいいんじゃないか……
自分も、そのことにずっと気づかないで、
そのまま結願まで行っていたら、
「これで自分の供養は出来ているから安心😊」とか言ったり思って、
成仏していくことなんだろう……と、思われるからです。
あと、
人間、三十三回忌までやってしまえば、どんな人も成仏する と、
先述がありましたが、
その後、
人間、死後50年が来たら、どんな人もチャラ 説 を知り、
現在はそれに上書きされております。
チャラい説き方となっておりますが、その意味は深淵で、
どんな人も、
その人間だった時を保てるのは50年が限界で、
それを過ぎてもあの世に行か(け)なかったものは、
いわゆる幽霊となって、成仏できない……のだそうです。
私はここに、
どんなに苦しい、悔しい死に方をした人でも、
ずっと留まり続けることはない、
たとえ自死をした人でも、
地獄に落ちっぱなしで成仏できないということもない……、
と、
希望を見出しているので、この説を信じて推します。
50年を過ぎても成仏できなかったら幽霊にはなるが、
その後、成仏することも出来るそうなので……
とにかく、
生前に自分の『写経』では供養できなくても、
成仏する方法はあるので、たぶん大丈夫!
ということです。